リカレント教育について考える ~ 社会人大学院の役割~

法政大学大学院 政策創造研究科 教授 小方 信幸

法政大学大学院で講義する小方教授。
ACBEE25期講座でもCSVなど2コマを担当

 最近、リカレント教育(recurrent education)という言葉をよく耳にします。私自身がリカレント教育の推進主体である社会人大学院の教員ですので、社会人の学び直しの重要性は実感としてもっております。また、私は53歳のときに社会人大学院に入学し、博士学位を取得するまで8年間にわたり会社と大学院の「二足のわらじ生活」を経験しています。日本経営倫理士協会(以下、ACBEE)会員の方たちは、すでに経営倫理士の資格取得というリカレ ント教育を受けておられます。今後、経営倫理士としての実践を積まれることに加え、さらなるキャリアアップの選択肢として、また同様な資格を目指す方たちにも、社会人大学院で、企業が本業を通じて社会課題を解決し自社の利益と長期的発展を実現する、サステナビリティ(sustainability)経営を研究することをお勧めしたいと思います。

∞リカレント教育とは

 文部科学省は「近年の技術革新の著しい進展や産業構造の変化などに対応して、学校での社会人再教育を行うリカレント教育へのニーズが高まってきている」と大学などに期待を寄せています。特に職業人を対象とした、職業志向の教育で、高等教育機関で実施されるものをリカレント教育としています。しかし私は、リカレント教育をACBEEのような民間教育機関や社会人大学院なども含む、より広範な概念と捉えるべきだと考えます。

∞日本企業の現状

 30代、40代の方たちには1980年代後半に日本経済と日本企業が世界を席巻したこと、あるいは米国の社会学者エズラ・ボーゲルが日本経済の強さを述べた‟Japan as Number One” を上梓したことなど想像できないと思います。また、かつての日本企業の強さを示すエピソードとして、1989年の株式時価総額で世界トップ50社のうち32社を日本企業が占めていたという事実があります。ところが、現在ではトヨタ1社が株式時価総額で世界トップ50位以内に辛うじて留まっています。
 日本企業の凋落、長期低迷については、世界経済の構造変化に対応できなかったことが原因であると言われています。この点について、堺屋太一氏(故人)は、1989年のベルリンの壁崩壊に象徴される東西冷戦の終焉と、パーソナル・コンピューターの進歩とインターネットの解放による、人、モノ、カネ、情報が世界中を瞬時に飛び回る変化に日本企業が対応できなかった、と原因を述べていました。
 さらに、日本企業が低迷する原因の一つは、サステナビリティの考えが欠けていることにあると考えます。2009年のリーマンショック後に、日本企業は経費削減のためCSR活動を縮小するケースが多かったのに対し、欧米ではサステナビリティの考え方で経営を行う大企業が現れました。その代表はネスレやユニリーバのような巨大な多国籍企業です。これらの欧州企業は、本業を通じて社会課題に取り組むことにより、社会価値と自社の経済価値を創造する共通価値の創造(Creating Shared Value, CSV)を経営戦略に据え、長期的視点でサステナビリティ経営の実現を目指すようになったと言えます。このような欧米企業との経営理念や経営戦略の違いが、現在の日本企業は欧米企業に周回遅れ、あるいは2周遅れと言われる原因ではないかと考えます。

∞時代の要請に応える社会人大学院

 上場企業については、2014年制定(2017年と2020年改訂)のスチュワードシップ・コードにより、機関投資家がESG要因に代表される経営上の課題や問題点について企業外部から改善を求めます。また、2015年制定(2018年改訂)のコーポレートガバナンス・コードが求める独立社外取締役が、企業内部から企業変革を進めることも期待されます。
 しかし、これら2つのコードだけで日本企業は本当に変革できるでしょうか。経営者の意識改革は当然必要ながら、世界のトップ企業と渡り合うためには、社員が高度な知識、技術、思考力を身に付けることに加え、高い理念と倫理観が求められると考えます。世界水準の知識、技術、思考力は、上場・非上場に関係なく企業で働く人をはじめ、フリーランスの個人を含め、働くすべての人に求められる時代と言えるのではないでしょうか。
 このような時代の要請に応えることができるのが、社会人大学院と考えます。日本企業低迷の原因は、野中郁次郎一橋大学名誉教授ほか5名の研究者が1984年に上梓した、『失敗の本質』の中で展開されている日本軍の「戦略上の失敗要因分析」と「組織上の失敗要因分析」が参考になります。特に、日本軍のように人材の多様性に欠け、同一性を求める企業風土のなかでいくら知恵を絞っても、インプットに欠けていれば、よい考えは浮かばずイノベーションは生まれないでしょう。思い切って社外に飛び出し、外部の知見を取り込むことが必要です。
 社会人大学院では教員による指導のほかに、研究仲間からの様々なアドバイスや励ましの言葉をもらえます。また、学生同士の会話やクラス討論などから思いもよらぬ気づきがあります。2007年に、私がビジネススクールに入学したとき、私は53歳で同期最年長でした。しかし、30代、40代の仲間とのクラス討論、同期会(飲み会)、個人的な交流から多くを学びました。また、若い世代の人たちの考えも知ることができました。授業やゼミだけではなく、研究仲間からも学びの多いことが社会人大学院のよい点です。

法政大学市ヶ谷キャンパス(東京・千代田区)
政策創造研究科は学部をもたない社会人向けの独立大学院

年齢、性別、国籍に関係なく学際的な研究が行われている

50歳代、60歳代の方は、学ぶ意欲はあっても年齢から大学院入学をためらうかもしれません。しかし、53歳で社会人大学院に入学した個人的な経験からいえば、学問の志と年齢に関係なく他者を敬う(リスペクトする)気持ちがあれば年齢は関係ありません。若い人に対しリスペクトする気持ちがあれば、世代を超えた友人ができると思います。
 さて、経営倫理士の方たちはもちろん、これから経営倫理士を目指す方たちには、ぜひ社会人大学院でサステナビリティ経営の研究に取り組んでほしいと思います。私は、サステナビリティ経営は、倫理を基盤としてCSR, CSV, SGDs, ESGなど広範な概念を含蓄する概念であると考えます。大学院では、ネスレやユニリーバのような、サステナビリティ経営を実践している企業について学んでほしいと思います。 
 これらの欧州企業は、サプライチェーンにおいて調達・加工を担う発展途上国で、農村開発に10年以上の長期計画で取り組んでいます。農村開発には、生産技術、安全な農法、農村経営などの教育に加え、女性の地位向上支援、学校建設と児童労働排除などが含まれます。しかも、このような取り組みを取締役会が監督しており、PDCAサイクルを回し、その進捗状況をアニュアルリポートで継続して開示しています。日本企業ではほとんど見られない取り組みです。ネスレやユニリーバは、そのような取り組みがサプライチェーンの安定と自社の競争優位になると信じています。
 最近では、わが国の一部の大企業は、サステナビリティ経営の重要性を認識し実践しています。また、サステナビリティ経営を実践している中小企業が意外と多いことにも気づきます。グローバルにサステナブルに事業を展開する欧米企業から、わが国の先進的な中小企業までを幅広く研究することにより、閉塞的な企業組織から解放されると考えます。このような学びを通じ “Think globally, Act locally”の思考力と政策提言力が身に付きます。また、社会人大学院での学びが職業人としての意識を向上させ、職場に良い影響を与えます。この点に、リカレント教育における社会人大学院の存在意義を見出せます。

∞学際的な研究には大学院を

 大学院選びとして、私の個人的な考えですが、ビジネススクールよりも学術研究を目的とする社会人大学院をお勧めしたいと思います。実務に役立つ知識や技術を身に付けるためには、ビジネススクールでの学びは有益です。しかし、思考力向上という点では、研究目的の大学院、つまり修士論文を書く大学院の方が適していると言えます。また、法政大学大学院・政策創造研究科のように、授業料などが最大で112万円が戻る専門実践教育訓練給付金の適用される社会人大学院を選ぶこともお勧めします。同制度を利用できれば、費用負担はかなり軽減すると言えます。
 最後に、私が所属する法政大学大学院・政策創造研究科を紹介いたします。当研究科は2008年設立の学部をもたない独立大学院で、1学年の定員は50名です。週日夜間と土曜日に開講しており、社会人が通学しやすい時間割になっています。また、当研究科の特徴は学際的な研究にあり、3つの創造群のもとに3つのプログラム、大学院全体で9つのプログラムがあります。私は「CSV・サステナビリティ経営プログラム」の担当教員を務めています。
 私のゼミ生たちはCSR、CSV、SRI・ESG投資、SDGs、ソーシャルビジネスなどについて研究しています。そして、このような研究に挑戦したい方、特に、経営倫理士の資格を取得された方たち、資格取得を目指そうとする方たちには、法政大学大学院・政策創造研究科の私のゼミでサステナビリティ経営を研究していただきたいと思います。私のゼミでは、研究の志があり研究仲間をリスペクトする方であれば、年齢、性別、国籍を問わず大歓迎です。
 入試説明もありますので、ホームページ(http://chiikizukuri.gr.jp/)をご覧ください。