コロナと SR(社会的責任)

水尾 順一  駿河台大学名誉教授

水尾 順一氏

 感染拡大が続く、新型コロナウイルス。日本でも1月中旬に最初の感染者が確認されてから4カ月あまり、5月1日には感染者数1万4000人を超え、死亡者数も455人に及んだ。世界的に見ても感染者325万6846人、死亡者23万3388人を記録(米国、ジョンホプキンス大学データ)、感染拡大は一向に収まる気配がない。
 こうした中、企業や市場の脆弱性が次々と露呈してきた。世界恐慌を巻き起こすパンデミック(大流行)ともいえる状況に、多くの企業や市民が日々悩み苦しんでいる。
 一方、社会に目を向ければ、市民はマスクや消毒液、さらには生活必需品を求めてスーパーやドラッグストアに列をなしたが4月16日、全国に緊急事態宣言が発せられてからは、ゴールデンウイークも自粛で観光地は閑散としている。企業は多くの従業員が出勤を見合わせ、テレワークの在宅勤務、商店街は休業の店が多く、夜の街も閑古鳥が鳴いている状況だ。行政の社会的責任を問うマスコミや市民の声が日増しに拡大しているなかで、政府は5月31日までの緊急事態宣言の延長に踏み出さざるを得なかった。
 行政、企業、市民組織など、人間が2人以上集まれば「組織 を形成する」とされているが、地球上の様々な組織の社会的責任が今ほど問われている時代はなかったのではないか。
 その経済状況は、1929年の世界大恐慌以上といわれている。しかも恐怖に満ちているのは、新型コロナウイルスが「生命の危機」を伴って襲ってきていることだ。だからこそ、何にもまして緊急対応が求められている。
 こうした背景を鑑み、本稿は「コロナとSR(Social Responsibility:社会的責任)」と題して、様々な組織のSRに関する4つの段階について、行政、企業、市民に何が求められているか、要点を絞って考えてみたい。

求められる4つの責任と貢献を考える

 様々な組織のSRに関して、米国の経営学者A・キャロルの理論を発展させて考えれば、次の図に掲げる4段階に分類することができる。

水尾・田中他(2005)から引用、
4つの責任はCarroll(1979)に加筆・修正

■市民レベルの法的責任

 企業であれば売り上げを確保し利益を出して、従業員に給料を支払い、国家社会に税金を払うなど経済的責任を果たさなければいけないのは当然のことだ。しかし、そのために手段を選ばぬということではない。その意味で最低限の「法的責任」がある。
 「法的責任」とは、「法は倫理の最下限」という言葉が示すように、組織が果たすべき最低限度の責任のことである。市民の安全・安心を保証し、データ偽装や虚偽記載、不公正な取引などを未然に防ぐ法令遵守の責任が、企業にはある。
 新型コロナ感染の現在の状況について考えるべき法的責任は、企業だけでなく、市民レベルにもある。一つの例だが、患者や家族、そして医療関係者に対するいわれもない差別や偏見、いじめなどが問題になっている。日本では「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」にあるとおり、人権問題で差別の禁止は当然のことである。
 次の事例は海外での出来事であるが、オーストラリアのゴールドコーストに住むコロナ・デブリース君(8歳)は、コロナという名前のせいで、学校で「コロナウイルス」と呼ばれていじめられているとのこと。こうした差別は許されることではない。
 (ちなみにコロナ君は映画俳優のトム・ハンクスと妻のリタ・ウィルソンさんに手紙を送り、このことを伝えたところ、早速、トム・ハンクスからお礼と激励の手紙が届き、愛用のコロナ(CORONA)ブランドのタイプライターをプレゼントされたという)

■経営破綻救う、早さ求められる行政の責任

 「法的責任」が遂行された段階で、企業はその次の責任として、前述のとおり「経済的責任」を果たさなければならない。しかし、新型コロナ感染の現在の状況と照らし合わせて考えれば、「経済的責任」を果たせなくなる組織がこれから増えてくることが予測される。
 すでにその兆候が表れ始めている。東京商工リサーチの調べによれば、「新型コロナ」関連の経営破綻は、2月2件であったが、4月にはすでに累計100件に拡大しているという。この状態を救うのは、行政の役割である。政治の責任といってもよいだろう。
 自粛を要請されているときは、企業独自の取り組みだけでは企業経営が困難なことは火を見るよりも明らかだ。自粛を要請する以上は政府や都道府県の行政組織が、金銭的な支援と一体に考えるという配慮も必要があると感じる。もちろん強制措置ではないので、経済的支援は義務でないことは理解できるものの、国民感情としては何とかしてほしいと考えたくなるものだ。
 そこに思いをはせて、互いに痛みを分かち合うのも行政の経済的責任の一端ではないだろうか。しかも、スピードが大事である。マスコミなどで報道されているように、すでに金銭的な支援に取り組んでいる国々と比較すれば、日本は遅い。手遅れになってはいけない。素早い対応を期待したい。

■組織独自の努力目標を設定して

 三つ目は、組織が果たすべき「倫理的責任」である。ここで注意すべきは、一つ目の「法的責任」が組織行動に関連して最低限度守るべき下限線であるのに対して、この三つ目の「倫理的責任」は、組織が独自に設定した努力目標として位置づけられていることである。
 たとえば企業で言えば、新型コロナウイルスの影響で働き方改革が求められた。これまでもテレワークなど在宅勤務への取り組みが必要とされていたが、その動きが一気に加速した。それは感染リスクがあるという背景があるにせよ、組織独自の取り組みにドライブがかかった。
 恐らくコロナ感染が収束した後もテレワークは継続されるだろう。もちろん、ZoomやSkypeなどITの進展による「会議改革」があったことも背景にある。
 市民レベルで言えば、買いだめや買い占めは自重しなければいけない。今回のトイレットペーパーの買い占めは、SNSで拡大したことが大きな要因であるが、一部にはマスコミがあおったともいえるのではないか。社会が混乱しない正しい情報を積極的に社会に伝えることは、新聞・メディアなどマスコミの倫理的責任ともいえよう。

■本業のノウハウ生かしての社会貢献

 四つ目は「社会貢献」だ。「社会貢献」の活動は、消費者利益の保護、社会・文化支援、ボランティア活動など積極的に社会に貢献する取り組みである。
 たとえば、家電量販店やニフティなどを運営するノジマグループは、新型コロナウイルス感染症対策に向けた支援として、医療・教育機関向けにマスク200万枚と防護服400着を寄付するとして5月1日発表しているが、この取り組みは立派な社会貢献である。
 本業のノウハウを転用して支援する社会貢献活動もある。資生堂、サントリーは消毒薬、消毒用アルコールを医療機関向けに生産しているなどである。社会貢献については、マスクや消毒薬などの支援などだけでなく、他にも義援金の提供、クラウドファンディングなどヒト・モノ・金の面から様々な形があるが、それについてはここでは省略する。

 以上がSRにおける四つの段階になる。これら四段階について、それぞれの組織が置かれた状況に応じて取り組みを考えなければならない。当然のことながら法的責任は義務として経済的責任に取り組み、そのうえで自らの置かれた環境を踏まえ主体的に取り組むことだ。
 新型コロナウイルスの感染が拡大している今は、市民社会はじっと耐えて自粛の時である。しかし、この感染拡大は、あらゆる組織が社会的責任を果たせば必ずや収束できると信じているし、またそうあって欲しいと願っている。江戸時代に山形の上杉藩で藩政改革に取り組んだ上杉鷹山が、次のような言葉を残しているからだ。

鷹山の言葉を刻んだ石碑=山形県米沢市の上杉神社で、2019年5月筆者撮影

「なせば成る、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人のなさぬなりけり」

 ご存じのとおり、「すべてのことはやればできる。やらなければできない。何事もできないのは人がやらないからだ」という意味である。
 この言葉を胸に刻み、新型コロナウイルスが収束した時点を見据え、それぞれの組織で社会的責任を果たし、アフター・コロナ(コロナ収束後)に備えていただければと願う次第である。

≪参考文献≫
Carroll A. B.(1979),‘A three-dimensional conceptual model of corporate performance,’
 Academy of Management Review, Vol. 4, No.4, pp. 497-505.
水尾順一・田中宏司・清水正道・蟻生俊夫編、馬越恵美子・昆雅政彦監訳、日本経営倫理学会CSRイニシアチブ委員会著(2005)『CSRイニシアチブ:CSR経営理念・行動憲章・行動基準の推奨モデル(英訳付き)』日本規格協会
水尾順一(2003)『セルフ・ガバナンスの経営倫理』千倉書房
水尾順一(2014)『マーケティング倫理が企業を救う』生産性出版
田中宏司・水尾順一・蟻生俊夫編著(2020)『上杉鷹山とイノベーション経営』同友館

水尾 順一氏 : NPO法人日本経営倫理士協会<ACBEE>理事;一般社団法人日本コンプライアンス&ガバナンス研究所<JACGI>代表理事・会長