◆災害流言による混乱・パニックをどう防ぐ? 

災害時にこそ問われるメディア・報道の役割

中森広道氏と講演・会見の行われた会場(下)=日本記者クラブ_7月19日

災害社会学、災害情報論、社会情報論を専門とする、日本大学文理学部社会学科の中森広道(なかもり・ひろみち)教授が、7月19日「災害における流言と報道」をテーマに日本記者クラブで講演を行った。中森教授は、関東大震災及び近年の災害で発生した流言・うわさの分析をもとに、流言が生まれるメカニズムや、その広がり方を事例をもって解説し、流言に影響される災害情報の課題を浮き彫りにした。そのうえで、災害情報を扱うメディア・報道の役割を提言、個人の情報リテラシーにも言及した。なお、この講演は、9 月 1 日で関東大震災の発生から 100 年目を迎える節目に企画されたシリーズ「関東大震災 100 年」の、第 6 回。大型災害関連の提言・研究成果等が発表される中で、同会見は注目された。

「流言・うわさ」はどのように生まれるのか

中森教授の主な研究テーマは、(1)災害とメディア・災害報道(2)地震情報・津波情報・警報の社会的機能(3)震度情報・緊急地震速報の展開とその適正化(4)災害と社会心理(避難、流言・うわさ、パニック)などに分類される。中森教授の中学生時代、1978(昭和 53)年に発生した「伊豆大島近海の地震」で「大地震が来る」という流言による騒ぎを経験したことが、現在の研究を志す原体験となったという。

一般的には同義語として扱われがちな「流言・うわさ」「デマ」「都市伝説」について、中森教授は自身の学術的見地から用語の違いを前置きした。その解説によると、「流言・うわさ」は、主として口から口へと伝わり、社会的広がりをもって伝えられる真偽のはっきりしない非公式な情報で、自然に(意図的ではなく)発生するものだという。例えば、「また大きな地震が何月何日に起こる」「不審者がうろついている」「窃盗があちこちで起きている」という話。あるいは、「銀行が破綻する」という話や「トイレットペーパーがなくなってしまう」といった話。それが本当なら、生命とか生活に大きな影響を与える話、つまり、話の内容が世の中にとってマイナスの働きをするものであり、これを中森教授の研究領域では「流言」と定義する。一方「うわさ」は、「流言」よりも影響が限定的なもの、比較的影響が小さい、少ないものをいう。したがって、「流言」と「うわさ」の違いは影響力の大小であって、その伝わり方や自然発生的なものという点では同質のものといえる。

災害における流言(以下、災害流言)にはさまざまなものがある。1923(大正 12)年 9 月 1日に発生した関東大震災の災害流言は大きく 7 つに分類できる(法務省の前身、法務府特別審査局の吉河 光貞の著書によるもの)と、中森教授は紹介し、主な流言を次のように例示した。 1 つは「被害の誤報」。これは、富士山や秩父連山が噴火している、伊豆大島・小笠原諸島が沈没した、関東が水没した、といったものをいう。また 1 つは「要人の死亡・避難」。これは、山本権兵衛首相が暗殺された・負傷した、高橋政友会総裁以下複数名が圧死した、摂政宮殿下(のちの昭和天皇)がお忍びで避難した、といったものが含まれる。そして「暴徒の発生」である。これは、社会主義者・新興宗教の信者らが暴行・強盗・放火に及んでいるというものが相当する。これらの災害流言が発生した背景を、中森教授は「社会的緊張」という言葉で説明した。

「社会的緊張」とは、中森教授によるとアメリカの社会心理学者ハドレー・キャントリルが用いた言葉で、普段は意識していないが、不満や不安、敵対的な感情が社会性をともなって人々の潜在的な意識に蓄積している状況をいう。中森教授は、関東大震災で発生した災害流言のうち「社会的緊張」を強く反映した事例の 1 つとして「朝鮮人流言」を挙げた。発災直後に関東圏で発生した朝鮮人に対する虐殺は、「社会的緊張」のなかで朝鮮人への不安や偏見を潜在的に抱いていた人々が「朝鮮人流言」を引き金に、強い興奮とともに極端な行動に駆られた結果だと、中森教授は分析する。また、自然災害という文句の持っていき場のない事象に対する不満や不安、悲惨な被害状況に対して合理的な解釈をしようとする意識なども重なり、不幸な流言の拡大につながったと指摘した。

流言に影響される災害情報の課題

主として口づてのはずの「流言・うわさ」が、なぜ速く、大きく拡散してしまうのか。関東大震災で発生した災害流言の広がりを例に取り、この当時では、マスメディアの影響が大きかったと中森教授は断言する。国内の新聞が関東大震災をどのように伝えていたのか、発災翌日から 8日までに発行された各社の新聞紙面をスライドに映し、検証しながら、新聞の見出しと史実との違いを中森教授は明らかにしていった。

メディア側の状況として、東京にあった 16 の新聞社のうち 13 社が焼失し、残った 3 社も新聞作成が難しい状況にあったが、それでもようやく新聞号外を発行していたという。情報を送受するための通信環境は、船橋や真鶴の無線所や、港に停泊中の船舶無線、それから警察電話や鉄道電話などが使用できたという。非常時の混乱のなか、情報の真偽を確認するすべもなく口づての情報をそのまま記事にした結果、多くの誤報が新聞見出しに踊り、拡散することとなった。中森教授は、このような誤報が流言を広めたり、流言を補強する役割を果たしてしまったと分析した。

新聞以外のマスメディアとして機能するラジオ放送やテレビ放送は、当時の日本にはまだない。ラジオ放送の開局は、関東大震災の発災から 1 年半後の 1923(大正 12)年 3 月である。そのため、ラジオ放送が間に合っていれば災害流言を防ぐことができたのにという論があるようだ。しかし、中森教授は、大災害において新聞ネットワークのチェック機能が働かなかったことを理由に、ラジオがあっても誤報を流してしまったのではないかと否定的な見方を示す。仮に、関東大震災でラジオ放送によって災害流言による混乱が防ぐことができたとするならば、それは、ラジオというメディアが存在したか否かではなく、(1)チェック機能が活かされている(2)それらの体制が整っている、という 2 点が大きく関係すると分析した。

また一方、メディア側がファクトチェックをどれだけ徹底していたとしても、「流言・うわさ」は口づてで広がっていくもの、個人から個人へ伝わっていくものであるから、(情報の真偽に関わらず)災害流言はある程度広がってしまうものだと指摘した。中森教授は近年の災害研究からデータを用いて検証。東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震のいずれも共通して、不審者や窃盗、そういった事件に関する流言、「何月何日に地震が起こる」といった予知のような流言が、発生していたという。現地調査を踏まえた特徴的な点をあげている。熊本地震では「近くの動物園からライオンが放たれた」というネットニュースを見た人が多く、北海道胆振東部地震では流言の情報源として、口づてのほか、LINE や Twitter の比率が多かった。

「信頼性」問われるマスメディア

個人が Web メディアや SNS などを使って世界中に情報発信ができる時代、関東大震災から100 年を迎えて、情報環境が大きく変化した現代においてもなお、どのように災害流言を防ぐか、解消するかという大きな課題がある。中森教授は、メディア・報道には大きく 2 つ果たすべき役割があると提言した。

1 つは、災害流言を“打ち消す”報道姿勢である。中森教授の見識では、インターネットを介した Web メディア・SNS などの超域メディアよりも、新聞・ラジオ・テレビといったマスメディアの方が超域メディアよりも「信頼性」という面では依然高いとし、特に、災害時や情報混乱時においては、より正確で積極的な行動をもって、不確実で真偽の不明瞭な情報を打ち消してほしいと強く要望した。流言の打ち消しについては自治体の情報発信が昔に比べて積極的になっていると中森教授は評価し、うまく体系化を図ってほしいと期待を表明した。

もう 1 つは、“災害の全体像”に関するアップデートである。時間が経つにつれて同じ被災地でありながら情報格差・復旧格差が生じ、地域によっては社会的緊張を高める要因となる。発災直後は仕方がないとしつつ、そうした「報道の不公平感」によって、不安や不満が積もる事実があると中森教授はいう。100 年前の関東大震災も実は分かっているようでまだまだ新事実が出てくる可能性に触れ、そうしたことも含めて全体像を明らかにする努力を繰り返し継続してほしい、と要望した。

最後に、関東大震災の頃に比べたら現代の方が圧倒的に得られる情報量が多い分、情報の受け手側にも流言を見極める力、個人の情報リテラシーが必要だと中森教授は説く。流言を“打ち消す”役割は、口づてが流言のキーである以上、媒介となる個人の責任ともいえる。(メディア・報道の役割と並行するように)情報の取捨選択や真偽の見極めなど、個人の責任が問われる時代になっている、と強調した。

以上

(ACBEE企画担当・釜谷保徳)