山中さん(前監事)、一周忌を迎えて

専務理事 千賀 瑛一
(日本記者クラブ会員)

 ACBEE監事だった山中裕さん(=写真)、が亡くなってから7月3日で一周忌を迎えた。ACBEE幹部在任中の急逝は通達したが、急な訃報で関係者一同は驚きと悲しみで胸がいっぱいでした。66歳だった。

「ACBEE20周年」記念座談会で(2016年2月12日)

 山中さんは当時、三菱ケミカルのコンプライアンス部門の担当部長。田辺製薬勤務時代に経営倫理士(第10期)の資格を取り、以降、ACBEE企画委員として10年近く、各活動に参加していた。大柄な体格と大胆な発言ぶりは注目を集め、その人柄、品格でさらに評価を高めていった。企画委員会などでも、前向きな発言で先導的な役割を果たしていた。

◆ 厳しい記者会見の中で得たもの…

 山中さんが経営倫理に少なからぬ関心を持ち、経営倫理士資格取得に至るまでには、それなりの理由があった。
 山中さんは愛知県出身、当時勤務していた製薬会社ミドリ十字で薬害エイズ事件が発生、広報責任者として対応した。薬害エイズは大きな社会問題となった。その後、多くは語ろうとしなかったが「連日、マスコミ対応に追いまくられた。記者会見で社長以下幹部が謝罪したが、厳しかった。企業不祥事は絶対起こしてはならないし、一度発生したらその後は本当に大変…」などと述懐していたことがある。このひとつのきっかけで経営倫理への取り組みを始めたという。

◆ 初の関西シンポジウムを手がける

 三菱ケミカルHDを定年退職後、住居を大阪に移した。ACBEEへの活動参加は、退職後も引き続きお願いし、総合企画委員の後、監事に就任していただいた。また 大阪転居に伴い、初代ACBEE関西事務所代表就任もお願いした。関西事務所開設についてはあまり知られていないが、自宅マンションのドアに「ACBEE関西事務所」の小さな貼り紙をつけました―との連絡があった。

 同事務所代表として最初のプロジェクトが「第1回関西特別シンポジウム」。ACBEEシンポジウムは、2009年スタート以来、原則年1回開催方式で既に12回実施されている。関西初のシンポジウムは2015年10月20日、テーマ「女性活躍を生かす組織力」、関西大学・髙野一彦教授の強力な支援があったが、山中さんが日頃から同教授ゼミ室に出入り、学生たちに親密なコミュニケーションをとっていたことも大きな機動力になった。東京在勤中も山中さんは若者たちとの交流には特別熱心だった。同氏の世話好きの性格は特に若者らに歓迎され、時には人生の相談役にもなっていた。

 シンポジウムには大阪労働局も積極的参加、山中さんの呼びかけで松下電工、関西電力、大阪ガス、グンゼ、大和ハウスなども協力、大変好評だった。同シンポ成功の背景には、山中さんが統括責任者として汗を流してくださった結果の成果だと、強く印象に残っている。

一周忌には、ACBEE事務局より御遺族へ献花(=写真)させていただいた。