日本の対策 国際的に立ち遅れ
介護現場からハラスメントの訴えが相次いでいるが、行政機関や介護事業者の防止に向けた取り組みが後手に回り、介護職が離職する要因にもなっている。日本のハラスメント対策は国際的にも遅れており、国や事業者の意識改革や規制強化が必要だ。
3人に1人「辞めたい」
「表向き、人間関係に疲れて辞めたことになっていますが…」。今年3月末、約7年勤めた特別養護老人ホーム(特養)を依願退職した30代の女性Aさんは不動産会社に転職した。この特養では過去2年間に6人が退職したという。
厚生労働省の調査によると、介護職が離職理由のトップは「職場における人間関係」。「人間関係」というと、仕事をめぐる上司や同僚、利用者との対立や確執などをイメージするが、Aさんは「そう単純ではない。利用者からのセクシャルハラスメント(セクハラ)や上司からの故なきハラスメント(パワハラ)が絡んで辞めるケースが多く、私もそうでした」と言う。
深刻なのは、利用者のセクハラや家族からのパワハラだ。2018年の調査によると、被害の割合が高いのは施設系サービス。特養62%、認知症対応型通所介護(認知症グループホーム)55%、特定施設入居者生活介護(サービス付き高齢者向け住宅など)48%などとなっている。
特養の事態をみると、ハラスメントを受けて「けがや病気(精神疾患含む)になった」22%、「仕事を辞めたいと思った」36%と回答。特養などの施設系サービスだけではなく、訪問介護やデイサービスなど居宅・通所系サービスでも多発している。
ところが、介護職員がハラスメント被害について「誰にも相談できなかった」と答えた職員が3、4割もいた。
相談しなかった最大の理由は、利用者に認知症患者や障害者が多いことだった。認知症グループホームはもとより、特養や老人保健施設、介護療養型医療施設、介護医療院などの施設系では、高齢化の進行とともに、認知症の入居者が目立って増えている。
認知症増加に追い付けない

こうした実情を踏まえ、厚労省は都道府県や事業者向けに「介護現場におけるハラスメント対策マニュアル」(18年度)、「ハラスメント研修の手引き」(令和元年度)、そして今年6月には介護事業者の先進的なハラスメント対策などを紹介した「介護現場におけるハラスメント事例集」(20年度委託調査、三菱総合研究所)を示し、積極的な取り組みを促している。
だが、Aさんは「マニュアル、研修、事例集は理想論を整理しただけ。例えば、ハラスメントを受けた場合、事例集には、すぐ管理者らに伝える重要性を事業所全体で共有し、実践されることが大事ではないかと書かれてあるが、当たり前のことが通らないから退職者が出る。慢性的な人出不足でハラスメントを話し合う機会さえ与えられていないことの方が重大です」と憤る。
人出不足のため勤務シフトを組むことが難しく研修どころではない。対応が難しいとされる認知症ケアに関する十分な研修が行われていない。Aさんは「認知症患者の増加に介護現場が付いて行けていない」と言う。
介護職には安全な働き場を…
日本のハラスメント対策は、新型コロナウイルスワクチンの開発と同様、先進国より立ち遅れている。6月25日、国際労働機関(ILO)のハラスメント禁止条約が発効したが、日本はILOの「国際基準」を満たすことができず、批准しなかった。
日本の場合、男女雇用機会均等法でセクハラ、労働施策総合推進法でパワハラについて、それぞれ禁止規定を盛り込んでいるものの、ハラスメントの定義が「国際基準」より狭い(例えば、職場外でのハラスメントは対象外)上、法令による罰則の規定がない。他の先進国から「事業者に甘すぎる」と批判されている。
厚労省は、21年度介護報酬改定や介護保険事業計画で介護事業者にパワハラ対策方針の策定や相談窓口の設置などを義務付けたが、事業者の反応は依然として鈍い。このままハラスメントを放置すれば、介護職員の退職が増え、介護人材不足はますます深刻になるだろう。 兵庫県は介護サービスの利用者と家族にリーフレットでこう呼び掛けている。「ハラスメントを防ぎ、(介護職員が)安心して働ける環境を整えることは、皆様の適切な介護サービスの提供につながります。ご協力ください」(要約)
福祉ジャーナリスト 楢原 多計志